らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

ケセラセラ

霊能者フラグがたった息子のフォローを、周囲に迷惑をかけながら、行った。主人は慣れたもので、あまり、私に付き合わない。理解しきれない、と割り切っている。私もそれくらいでいい、と思っている。でも、息子の生活環境そのもの自体には、考慮だとか配慮だとか必要に思う。

でも、自分で困らなければ、どうにかしようとは思わないもので、本人も薄ぼんやり自覚しながらも、自分を整える、ということに関しては、もっぱら、無関心である。まぁ、いたしかたない。

親愛なるY君も、霊道が開いたことによる、エネルギーバランスの不調和から、周囲と自分の堺がうまくつかないようで、全部、「自分」だと認識していて困ったことになっていた。

まぁ、慣れろw

そんなこんなで、私は、ある大学の説明会にWEB参加して、編入の可能性を検討した。世の中は、法治国家でできているので、法律に基づいた、根拠あるやり方をとっているものである。それ自体に、ワガママこいても仕方ないとわかっている私は、お話を聞いて、公認心理師の道を明らかに断念の意を、いよいよ固めたのであった。

もう、ある程度わかっていることについてもう一度学び直ししながら、数百万もかけられるか。ということで結論となりました。この結論に至るまでにかかった時間は、2ヶ月。

同時に、自分が惹きつけられるもの、もしくは引き寄せるもの、を検討した結果、虐げられた過去のデータが、潜在意識にあるのではないか、と思われたので、その調査もしていた。もし、それで、現在ただいまの就労環境であったり、状況だったり、現実というものが展開しているのならば、潜在意識にある虐げられたエネルギー体、つまり、想念体そのものと、想念体の向こうにある、過去・現在・未来、がつまっている層をクリーニングすることで、私自身の世界の歩み方が、抜本的に変わることを意味する。

そのあたりを考えながら、伝道師さんのところで、今後の進路について、カード占いをしてもらったのは一ヶ月前。新たにペンジュラムと呼ばれるものがでてきて、私ははじめて見る、そのアイテムにきゅんきゅんして、占いの結果どころではなかった。

伝道師さんのカード占いは、いわゆる説明書どおりの体裁で占うのものではなく、伝道師さんオリジナルの展開、だった。やってもらわないとわからないので、やってもらうとこんな使い方もあるんだな、と無意識に覚えていく。ペンジュラムがぶんぶんまわるのを見て、衝撃を覚えたりした。

で。

伝道師さんのところでやるヒーリングを教えてもらうのにかかるコストと、公認心理師取得にかけるコストを天秤にかけていた当時の私は、「スピリチュアル方面」と「お硬い仕事」と2ルートで2枚ずつのカードをひいた。

そして、「スピリチュアル方面」に、まさかの2枚同じカードをひき、「お硬い仕事」は一時的なものを表現するカードをひいた。ペンジュラムは、ものすごく大ぶりに、「スピリチュアル方面」のカードの上で、まわっていた。

そら、適性はあるだろうよw

ということで、その結果をあまり深く受け止めなかったが、おもしろかったのは、自分の心にある「スピリチュアル方面」への偉大なる反発心であった。これは何かあるに違いないと思った。経典に、貞子はその時代には受け入れられない先進的なスピリチュアル人の成れの果て、みたいなことが書いてあった。実は、もう何年も前に、瞑想中に、井戸から無限に貞子がわきいでるイメージが続いていて止まない。単なる傷つきの象徴として考えていたが、これは、もしかしたら、本格的に「貞子」が私の潜在意識に眠っているのではないか、とあいなった。

   


いた。びっくりした。

想念体、つまり、私の固有の過去の人生、に、「迫害を受けた歴史」はあると知ってはいたものの、具体的にどれだけだとか、どんな迫害だったか、とか、詳細を知るものではない。アマゾンの動画を見るようなもので、断片的にそれが動画再生はするものの、一人生をすべて把握しきれるものではない。

もともと、ひとの魂は、ものすごく膨大なデータという過去世をもっていて、そのデータが表現するもののエッセンス、が、潜在意識につまっている。それが幸福か不幸か、は、三宝と通じたものか、否か、で決定される。むしろ、通じることが輪廻の目的でもある。

私が把握したものは、「過去世の断片的なデータ」と「象徴」のいくつかである。

なんと。おそろしいことに。

私は敬虔な信仰を持っていたようで、その信仰にまつわって迫害を受けた際、ひどい拷問を受けている人生がいくつかあったようだ。その拷問の詳細までは、ダウンロードしない。その当時受けたもので十分であるし、むしろ、自分がその体験を通して、「いかがなもの」になったのか、が大事だからだ。

迫害を受けた人生をもったひとの参考値になるかはわからないが、一応、どうやって解放したかを書く。解放なのか、降魔なのか、最早わからないが、こういうこと(瞑想による内観)をすると、「自分の変化」は劇的なので、私はときめいている。ただ、一度ではやりきれないので、やりきりたい方は、秘法系へGO!

拷問を長期にわたって受けるということは肉体的心理的苦痛を伴う。その苦痛から逃れるために、心を神に向ける。一種の乖離状態になって、痛みから逃れたそれをとって、「神に守られた」「神に愛された」と、認識する。ここで、もうすでに、狂っているのだが、なんと、私の想念体の向こうにあったのは

「愛されることは殺されること」
「愛することは殺すこと」

と間違った学習をしていたのだった。よく考えれば当たり前かもしれないが、学習というものはいつでも完全ではない。スキマスイッチの音楽を聞くだけで泣いてしまうようになった夫は、間違った学習の結果である。本来の涙は、「息子の誕生という奇蹟」への感動であるのに、刷り込まれてしまったその楽曲が涙を誘う。

「息子の誕生→(誕生ビデオ)→感動→泣く」という図式のなかに、息子の誕生を浸るための産院が贈ってくれた誕生ビデオに流れるスキマスイッチの音楽が組み込まれて、いつのまにか「スキマスイッチ→泣く」といった端的な行動パターンが与えられた。

それと同じくして、「迫害→神へのマインドセット→乖離→苦痛からの解放→愛される」が、「迫害→愛される」という図式として、私の潜在意識に刷り込まれていたのだった。

いや、現実の私の顕在意識、つまり表面意識は、「迫害は暴力だと思っている」。でも、潜在意識は「迫害→愛される」という図式になりたっている。この結果、どうなるか。家庭から距離をとる。

潜在意識の向こうには、もちろん真我がある。この間違った学習(潜在意識)が、真我と表面意識の間でサンドイッチされるとどうなるのか?

自分をコントロールできない衝動的な焦燥感にかられた、まるで義務のようにも思える、何か、をし続けるのだった。私の場合は、子供の頃から、家庭に対して希薄な目線をもっていた。逃走、するのである。私自身の居場所に自分を置けなかった。親戚の家庭だとか、友人の家庭だとか、隣の学校だとか、ちょっと自分の所属しているところから、離れたところと繋がりたがった。

彼氏は、絶対に、自分の学校でつくらない。
バイトは、塾講師とパチンコ屋というアンバランスな組み合わせでかけもちする。
友人は、住まいの地域では作らない。

なんでか、わからないが、自分の所属層と異なるところ、と心のつながりを求めた。自分でもわからないが、そう「心が求める」のだった。家族旅行に行っても、自分だけ別行動をする。そういう感じ。

この年になって、若い子を見ながら、自分にはないものをとりいれてみたりして、「自分に許しがたかったこと」を許すようにした。自分を変えて、いろんな理由をつぶしていった先にでてきたのが、「愛するは殺す」だとしたら、とてもよく納得がいった。

でも、じゃあ、殺人鬼になるのか、といったらそうではない。

私は、「愛するものをそのまま受け入れて愛する」ではない自分に疑問を抱いたのだ。この「殺す」というのは、「ひとの個性を否定する」でもあるし、「さばく」でもあるし、「ひとの精進に水をさす」でもあるし、あらゆる意味を指す。あの世から見たら、死とは「肉体的な死」を意味するものではない。ある意味の「おわりとはじまりの連続」、という向上心でもあるし、自己革新の塊、とも変化する。

それが現象化すると、「転職回数が多い」だとか「能力主義」にもなりうるだろうし、「完璧主義」にも転換する。潜在意識が現実にどう作用するか、は、説明が難しい。けど、そういうふうにできていて、私は、私の中にある潜在意識にあった「迫害された塊」に納得がいったのだった。

そして、瞑想しながら、その塊といくつか対話する。


その塊と波長同通した魔、がいたらしく、何回かラップ音がした。
(法と心が一致した波動でベンッてやる。今回は愛について。)

だが、まだ終わっていない。

潜在意識で貞子とまみえた数年、子宮頸がんではないかと思うくらい、卵管の位置する場所が時折しくしくといたんでいたのが、もうちょっと下の真ん中あたりに移動した。本当かよ、と思うかもしれないが、第2チャクラと第1チャクラの間くらいまで光が入るようになったのはわかる。霊体というざっぱなところではなくて、もうちょっと、なんていうか、仙道っていうのかな、第1チャクラから第7チャクラまで繋がっているところの、2つある螺旋階段上にあるうねり、の場所がすこし開いたのであった。

まぁ、こういうことは、何年仕事なので、あまり気に病むこともない。ちゃんと生活していれば、そこから悪くなることもない。ただ、やらなければ進むことはない。つまり、一時停止、しただけである。


で、私の現実はどういうふうになったか。


なぜか、自分が霊能者ということが完全に「遊び」として位置づけられた、のでした。