最近の世界
ああ、そう言えば。
世界は、ひとに与えてきたものが与えられる、って感じる。
同時に、神に発信した想い、が巡り巡って、人から与えられるって、現実を見て、感じる。
こういうことが、点と点が繋がって線になり、立体感を持って、知覚を重ねてくると、
無知そのものに、怒りが湧いてきたりする。
無知に恐怖するようになる。
そうなると、どうなるかというと、奪われないように、もしくは、傷付けられないように、監視するようになる。
けど、実は、この状態は、パイの取り合い、の状態をさしていて、無限に増殖するパイ、を信じられていない。
ここでなく何が問われるかというと
法に基づいて智慧となした自分の意識体から流れ出る光の威力、を信じ切れるかどうか、ということ。
つまり、学びは自分だけにおいて、感化力だけで、その場所にある役割を全うするだけで、魔を祓えるほどの光を流し入れる、経由ポイント、に自分がなっているかということ。
湧水を出す泉に、自分の魂がなっていること。
これ自体が、現実を好転するすべて、であって、動かそうする必要がない、ということ。
それらを信じ切って、他のネガティヴな思想がはいる隙を許さないということ。
それが、見えてきて、はじめて。
与えられるものすべてに感謝する、が、わかってきて。
現実もどういう動きになるか、が見えてきて。
天と繋がることも大事だけど、グラウディングは大事だと思いました。
グラウディングなしに、三次元のアイデンティティって、与えられる気がしない。
蛇には、無償の愛を。
見返りの愛、がある限り、潜在意識には、少女と殺人鬼の無限ループ世界がある、ことがわかり。
無償の愛とは、ただ、何が起きても、理屈なしに、感じだけで、相手を好きだと思いきれるか、かなと今のところ、思います。
そこが伏されると、決して、慈悲魔にはならないと思います。理由がないのであれば、理由に基づく欲をあおる、偽の布施をしなくなりますから。