らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

ラブストーリー

昼食、私はいつもタバコを吸いに外に出るのだが、今日は、隣のお姉さんとお話していて、行かなかった。なんとなく、行きたくなかった。

研修に行って、とても腹をたてた私は、なんと、「過去世の自分」がせりあがってきていて、しかもいろんな時代の想いがうねあがっていて、複雑に、過去の自分を憑依していたので、ちょっとおかしかった。そのあたりの記事は、作成中だが、あまりにも「突飛」で「複雑」で「難解」なのと、その「発見」が私にとって落ち込むようなことだったので、まだ出来上がっていない。

反省をしてできあがった「私」は、通常モードの自分に戻っていて、やっぱり「世の中のことの多くはどうてもいいことだな」と思ったりした。

昔の職場にいた、私が可愛がっていた子は、ちょっと支援が必要な子で、それでいて、私の息子に雰囲気がそっくりだった。みんなの前で、「息子に似ているからどうしても偏ってしまうがひいきではない」と公言し、みんなから「ほほえましい関係」として見られるようになった。それを期に、あちらも、私も気兼ねなく、「好き合うふたり」として隙間時間にいじりあっていた。

私が離職するときには、花束をもって現れ、泣いた。「どうせ、ちょっと稼いでお金がたまったからやめるんだろう」と責め泣いたその意見は、「そのとおり」だった。

それと同じようにして、私が「好き」と思う雰囲気のお客さんが来た。本能で「かわいい」と思うのは、どうしてなのか理由などない。何をしていても可愛く見え、「いじりたく」なってしまう、「かかわりたく」なってしまう。こちらが、「大好き」波動を出しているので、相手もノリノリで本来疲れて嫌がる作業を、「楽しんで」いた。そういうことは、仕事をしていて、よく起きる。

宗教界隈のこともそうで、私は大好きな友達と何でも話をしてきた。それこそ、ライフステージに限定されないので、死ぬまで、ずっと関係が続く。仕事で繋がっているわけでもない、学校で繋がっているわけでもない、家庭や地域で繋がっているわけでもない。心で繋がっているので、どこで何をしていようが、自分の味方だという絶対的な安心感がある。

家族よりも信頼している。でも、それはなぜかというと、それだけ、理想が同じでいろんな話をしてきたからだ。話せないことは何一つないくらいに。

「安心」と「好き」で、行っている作業が辛くなくなると、自然に力もついてくる。


そういう世界になるといいな、と思う。実際、それに勝ること、はない。


隣のお姉さんは、最初、とっつきにくい印象があった。私と真逆な方だ。言葉の使い方も真逆だ。私はできるだけ、相手を傷つけないように言い回すのに対し、お姉さんは、ストレートに「冗談」混じりで、相手がはっとするようなことを言う。でも、その心根は、「優しさ」から来ている。天の邪鬼、と言えば、そうかもしれない。

天の邪鬼は、あまりいいものではないと教えられているので、私は警戒して自分に反省をするものの、お姉さんは「豪快」に天の邪鬼を呈する。それでも、お姉さんは「ストレス」が溜まっていた。一緒に仕事すると決まったとき、何のためにここにいるのかを考えていた私は、お姉さんに与える、と思った。お姉さんはストレスが溜まって、ちょっとギスギスしていた。どうやって関わっていいかわからないくらいに。

ある植福菩薩さまが言ったお話。「いいことも悪いことも、ありがとうございます、と感謝していただく」

だから、なぜこの仕事が与えられたか、自分で選んだにせよ、なぜ、この選択肢だったのかの理由に、精進を置いて、「お姉さんの心を守る」と決めたのだった。心のことは、あんまり、ひとはわからないしね。霊的にそっとすこしずつ、光を与えようと思って。普通のひとは光だとかわからないし、不満でいっぱい。だから、お姉さんにも「お姉さんは私が守ります」とわけのわからないことを言った。お姉さんは変な顔をしていた。

でも、最初からうまくいかなかった。

だから、じーーーっと、私がそこにいるだけで光を与える方法を選んだ。お姉さんに直接何かするでもなく、ただ、そこにいるだけで光がそそがれるように、自分を頑張った。そしたら、どんどんお姉さんは元気になっていった。

最初はわからなかった「お姉さんなりの言葉」も、ようやくわかるようになった。責めているのかな、叱責しているのかな、指導しているのかな、と思っていたことは、そうじゃなくて、お姉さんはただ「仲良くなりたかった」だけだった。でも、自分のことをよくしようと考えているとき、私はそれをとって、うんうん、自分を改善しようとばかりしていた。だから、余計に、わけのわからないことになった。

お姉さんとはいろんな話をした。子供のことや学生時代の話とか。何気ない雑談が一番おもしろかった。ひとを悪く言うような話で盛り上がるところから、何気ない雑談の「いじり」に変わっていって、「安心」が生まれた。職場の雰囲気がガラリと変わったので、どうしても大変な時期に、改善をみこもうとすると、解決しようとするだけ、どこかに問題があった。でも、お互いに、話をして笑いあうと、「安心」に変わっていった。

人事が人員削減をするのに、お姉さんにそこで働いてほしくて私が辞める、と言ったときも、お姉さんなりに抵抗した。そうせずにはいられなかったのだと、今は思う。人事が削減すると言ったら、その決定は覆ることはないのにな、と思った。でも、お姉さんがそうしたいなら、そうすればいいと思った。お姉さんがこれからも働く職場なのに、お姉さんは怒った。お姉さんは、ただ、不器用に、私を好きだと表明したのだ。

昨日から今日にかけて、ふっと「愛」が私に戻ってきたとき、お姉さんのことも思った。しょうもない昼休みの時間を過ごすと、家庭のこととか悩みとかお姉さんに話すと、現実のところから「そんなもんなのよ」と言って鼻で笑われると安心したのを思い出した。心のことばかり考える私は、とんでもなく重大なことと思われたのに、そうやって鼻で笑われるとしょうもない出来事なんだと安心した。そういうことがたくさんあった。

私は長女で、お姉さんは次女だった。

私はずっと「姉」をしてきて、お姉さんは「妹」をしてきた。だから、お互いに、「妹」をやってみたり、「姉」をやってみたりするのは、初体験だったと思う。あまり、お姉さんも私も、群れるタイプじゃなくて、PTAなんかだとポツンとしているタイプだった。

私が来年度はこの職場にいないと思ったとき、この職場で一番心に残っていることは、お姉さんと激務を乗り越えてきた2年だということで、私は、さみしくてさみしくて、泣いているのだった。


お姉さんは、不注意でミスの多い「妹」が煩わしかったと思う。私よりも、お姉さんのほうが「私」をわかっていて、どうしてその行動を私がとったか、の心の動きを、知っている。隠そうとすると、そうでしょう?と、まわりくどくいうので、怒られていると想いきや、私の立場を思いやって、私の気持ちの推察も言わないで話すからだった。私がこういう気持ちだったと言うと、にやりと笑って、こうなのよ、ああなのよ、と話してくれるのだった。

お姉さんは、私と話すのが好きなだけだった。

でも、お姉さんに話しかけると、ふっと突き放されることもある。でも、それは、お姉さんは、自分のことに没頭していたりするだけだった。特に、私に問題がないと思われるときは、黙って、ふんふんと自分の仕事をしているだけなのに、「私はだめなことをしたのか?」と思ったりした。お姉さんは、自分のことをしているだけだった。


こんなに大事にしてくれた。思ってくれた。思って行動してくれた。話してくれた。


私は、最初に「お姉さんのこころをまもる」って言ったけど、お姉さんが私を守ってくれた。



仕事で慕ったひとは多いけど、感謝で頭が痛くなるくらい涙がとまらなくなったひとは、はじめてだ。


お姉さんは遠慮したり、ひとの気持ちに過剰に気を使ったりするひとだから、私がちゃんと言わないといけないと思う。来年度以降のランチの約束を。