らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

ユダ退治

お金よりも愛をとる、っていうのがよくわからなかったけれど、私は、私の立場として、夫がお金の不幸出来事、が起きても、「ドウドウ、落ち着きなさい」と言ってなだめた。で、すぐに電話がはいって、その「損失をリバウンドするための仕事」があり、今でかけている。また、他者のミスの修正がはいって、数万支払いがなくなった。

なぜか、プラスになった。

それとこれとあれ、は違うだろ、と思われると思うが、「引き寄せ」というものはそういうものだ。忘れていたお金が入ってくる、とか、タンスから通帳がみつかったとか、眠っているお金がたたきおこされないで、そのままマジで「死ぬ」ことすらあるって、知っていたかね。

そういうことを見落としていないか、とめをみはるひともいるのだが、あまり私はそれに時間を使いたくない。それに、心が嬉しいをはじく音を奏でているほうに目を向けたいのだ。最近、花や空気のはり、空の青さがようやく、音をたてて味わえるようにもなってきた。

その引き寄せは就職活動にもおきた。

唯物論者の「勧めるアイデア」ほど、信用することはできない。なぜならば、彼らを指導しているのは「唯物論」の悪魔だからだ。もちろん、いちいち悪魔がついて指導しているわけじゃない。ウジをわかせハエを使ってその思想の土壌をつくる。その思想の土壌となる「くさった脳みそ」が、はじきだす結論は、唯物論者なら「たいていおなじ」なのだ。自分の財産を使って、思想にまっとうに生きているだけである。

そして、悪気のないことに、唯物論者だって私のことを愛してくれている。私は、その思想がウジわいているよ、と言っているだけで、その人自身のことはすきなんだよね。でも、そのウジには、ちょっと困ることが多い。

だから、唯物論者の助言は、かつの私もそうだったため、すごく納得がいく危機管理に満ちた良策が多い。だから、それに傾倒しそうにはなるのだが、たいていのところ、信仰者の助言のほうが、幸福の未来が待っている。

なので、いろんな方から勧められた応募先の情報、があったけれども、私は自分でみつけて、会員さんがよく知る所を第一希望にして、今日面接を受けた。ふいをつかれた質問、でもなかったが、私も面接に夢中で、きょを突かれた。それで、受かってもいないのに、その仕事場でパートさんなら嫌がる仕事を私は楽しみにしているという本音を言った。

出張があるんだze
温泉が入れるんだyo

で、笑っていただいた。なんだか、みんながエンターテイナーというか、熱い想いを語り合う、といったようなことで面接が終わった。なんだ、これは。印象的だったのが、胸が暖かくなることがある、ということ、私達はこういう想いを大事にしている、という表現。

こうした気持ちを大事にしている、ことを全面に出して話ができるひと、っていうのは、唯物と見分けがつくところのひとつ、だと思う。だから、ほっとしたのだった。ここは、心がある、と思って働いているひとの比率が高いと思った。反応じゃなくて、暖かくなることがある、という話には、感銘を受けた。心理分野もそんなことで、唯物論者はいる。

で、ユダをずーーーと考えているのだが、反省は一向に進まない。
こういうときは、ひとと話をするに限る。

ゴリ子と話をしているうちに、どうやら、私達は同じようなところで足ぶみをしていることがわかった。彼女は立ち止まっている状態であるし、私は歩いているようで、足踏みをしてごまかしている、とのことだった。

だから、何回も言っているけれども、決して、積極的な想いで突き抜けてきたわけではなくて、どっちかというと、論理的にはこういうことだ、と分かるから、反抗心をギラギラにしながら、こなしてきたら、、、いつの間にか、こうなってしまったのだ。

でも、ゴリ子は言う。

らいらは、「喧嘩上等!」の場面だと強いけど、普段はそうもなくて気が弱い?だから、最初の一歩までがものすごく長い?

「そうだよ。新しいことに取り組むのは、ストレスにしかならないから極力なくすようにしたいと思っている。自分がどれだけ、ストレスになっているかわからないのに。やりたいことならまだしも、やりたいけれど、この世的にそれはやれるのか、という疑問がついてまわることを、できるとは思えない。」

そうだよねぇ。のたれ死ね、というのかって怒れるよね。責任とってくれるのか!!って思うけど、何したって、それは自己責任なんですよ、それは痛いほどわかりますよ。

「そんななかで、こんなに頑張ってきた自分はすごいと思う。だけど、これ以上、ってなると、今ある延長のことならやれるかなって思うけど、そんなリスクを負って、子どももまだお金が必要なのに、やりたいことにダイヴなんて思えない。」

そうだよーー。死ねっていうのか。なんだよ、くそう

「でね、きっと与える愛が足りないからこうなってると思うの」

愛?なんでよ、言ってもわからないのに、そんなのどうしろっていうのよ

「でも、ほら、Uさんは、ゴリ子がかかわってたらキレイになったじゃんか。光を滞留させたゴリ子とかかわってきた職場のUさんは、そうやってキレイになったじゃんか。私だってそうだよ。仲良くしていたら、滞留する光が勝手に仕事してくれたり、私達が一緒に生活するから好きだなって思えるようになって祈れたりするでしょ。でもね、反応してるからそうなるってのもある。反応していやだなって思うから、汚くなるかも知れないし。だから、起きている出来事に反応するんじゃなくて、信じたり思うことを確立して侵させないというのも大事なんだよ」

わかるけどさぁああ。じゃあ、どうやって、生きろっていうのよ。三次元世界で、三次元のルールではなくて、あの世の世界のまんま、生きろっていうの?そんなの、狂ってるよ。

「ゴリ子、だいじょうぶだよ。怖がってるのは私達だけで、それは、○○○した後だったからでしょ?そんないきなり交通ルール忘れて車運転する、ことはないのと同じで、私たちはこの常識だとか倫理観とかはちゃんとそなえているよ。でもね、、、、私達はさ、きっと、私達の武器は・・・」

信仰心でしょーーー、もう。見事すぎて、もう、本当に、ため息がつくわ。なんでそこで信仰心がくるかも、ほんと、ぜーーーんぶわかるし、それでほんとに見事としか言いようがないわ。むしろ、これは私の本当の課題で、死ぬまでにできたらいいなってくらいのことじゃん。

「でもね、ゴリ子。そんな怖がらなくても、そのほうがショートカットで幸福になるというのは、わかったのよ。引き寄せ、でこうなるんだけど、さっきの滞留した光もそうだけど、こういう理屈で、天使の与え合う、の理屈で、ゴリ子と私が祈りあえば、引き寄せも4倍にはなるのよ」

なるほどね。やれそうだよね、じゃあ、何やるのよ。


。。。。。
実は、ゴリ子と仕事しようかなという話はずっと前から出ている。でも、それで、どうやって、生きていけるかというところで、?がついて回り、そんなことは行動していない。ただ、考えたことは何回もある。

でもって、ちょっと大きな植福した友人が言う。

「ちょっと、もう、職場にいれない、って急激に思っちゃって」

ああ、わかる。唯物論系の方と一緒にいれないんだよね。それでいいのかって言われても、きついんだよね。消耗がひどいんだよね。思想がぶつかり合うからか、どうかはわからないんだけどね。真逆だもんね、生き方も考え方も。

自分の気持ち、心、考え、を中心にして、比較しながら、自分の場所をさぐりあてるようにしか生きれないもん。かえって、めにみえないもの、を信じるひとは、自分の心と相手の心は別物で、相手の立場にたって、ものを見る、という自分を捨てる作業ができるから、その捨てたときに、相手が満足することが決して自分のそれと同じであるわけでもない、って分かるからね。

嫉妬、は唯物論者よりもずっと起きることが少ないもんね。だから、愚痴も不平もない。

いいか、悪いか、わからないけど、私もそれは感じていて、光を広げる仕事じゃないと、もう生きていけないというか、しんどい。

ゴリ子にも、そんな話をして、私たちも、この子と同じなんだと言った。もう、本当に、諦めて、天使の仕事を、この世界でやるというわけわからないことをやらなければ、現状維持の毎日だということを、お互いにさとったのだった。胸が沸き立つという言葉がおかしいが、吹き立つかな?胸に虫がわいているのかな、これは。胸のあたりがごじゃごじゃーーってぶくぶくーーーってなる。

怖いというわけではないんだ。できないとも思えないんだ。でも、身体が動かないんだ。

そこで、私たちは与える愛に向かうべくして、自分たちに何が足りないのかを考えた。それで、私はふと、気弱さがあることを言われたんだ。信仰心だけで生きていくことを、本気でやるのに、私は気弱すぎる。よくわからない。怠けかな?

なので、スプーンのさじでお互いに食べさせあえるべく、ゴリ子がなにかと交信して、答えをだす。

「勇気かな?勇気だ、、、あとガッツ。そうか、勇気だと変な方向に勇気を使ってしまうからだめなんだ。らいら、なにかいい祈願ある?」

え?若返り祈願?

「若返り祈願?そこで?なるほどね、若い頃にはあったわ、たしかに。」

そこでTOKMAの尖閣諸島の話をして、そちらのほうに話が流れて、終わった。



そして。。。今日数時間、数名に法施してふっとわかった。
こういうのって、わからんなりに反省しても、いきなりわかるんだね。


あのね、ユダは救世主をお金で売ったんだよね。

だからね、この世で生きるときに、救世主へ付き従う信仰心とお金とで、私達は信仰心よりもお金を選んでいるから、アウトなのよ。ユダの支配下なのね。ユダと同じなのよ。救世主よりもお金が大事だと思っている。

ああ、そうか、だからか。
この世で生きるときに、救世主へ付き従う愛と人間愛とで、わたしたちが神への愛よりも、人間愛を選んだら、アウトなのと同じように。ハトホルかな。


で、ブラックナイトは、そうやっていじめられたんだよ。
お金がなかったらいじめられるので、救世主よりもユダを選ぶ。
いつの間にか、ユダと同じようなことをするように、ね。

なるほど。さぁ、ここから、うちでは何が起きるかな?

Kさんが暇だからって、昨日私を霊視したんだって。なにかホームレスみたいなやつがいたらしくって、誰か、家にいたのかって聞いた。お客さんはいなかったので、それはまさかの貧乏神かな?って。言われて、なるほどと思った。

今日の、主人の出来事は、その「貧乏神」の波長同通的なアレだわ。息子のそれもそう。論点は
「やられたらやりかえせ」
その行動の奥に見えるのは、客観的に見たら「反省しない自分」「愛されたい自分」「改善しない自分」なんだけどね、彼らからしたら、ちょっと違うんだよ。

彼らは絶望に満ちていて、怒りではないなにかに震えているんだ。それは、おそらく恐怖、だと思う。ちなみに、夫は、ユダヤ教かシュメール文明時に奴隷で働かされている。そのせいか、過酷な仕事でも、たんたんと平気で行う。その姿は、私は本当に尊敬する。でも、あれは、違和感がある。彼らの怒りには違和感がある。ずっと変だと思ってた。

あれは、夫ではないんだ。
そして、きっとあれは息子ではない。


でもなぁ、たぶん、きっと、それを自分だと思いこんでるんだろうから、ちょっとわからないな。でも、ひとつ言えることは、長男は!!私と仲良くしてくれるほうが長男だということがわかった!!

よかった!!
よくない。 そこまできてわかった。 冒頭に書いている唯物論者の彼女たちが、私達の潜在意識の魔と、同じエネルギーだと。