らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

心に残る

愛読者さんになってくれているフロンティアさんは、ラインでコメントをくれている。友達もコメントをしてくれる。どうもありがとう。

霊体質の方は、ちょっとおわかりになったかと思うが、昨日の記事は、「私」と「私の指導霊」の意識がすこし混じっている。もちろん、意識体が違うので、語り口調が少し変わる。その口調は変わらないでも、私の視点を交えるぶん、そこは、配分○%と○%でできてる、といった具合にもなる。

その「私の指導霊」は、私への指導、も兼ねて話している。

つまり、私自身が心の修練ができている状態、で話しているのではなくて、私ができているとは言わないが、という前提で成り立っている会話なのだ。実際の会話の状態はこうだ。

私はできていない、と自覚しているけれども、答えは、今までの生活のなかで、ほんのりと「理解」はしているので、反抗心をおさえて、私自身が選ぶべき「正解」の道を、私自身の体験を使って、説明はするけれども、私自身のそれは「先行事例」であって、「正解」ではないんだよ。でも、「反抗心」をもちながらやっても、これだけのことは成果として偶然に与えられる。それがほんのり「わかって」くると、しぶしぶ、行動や心を選択するようになる。それらの指針になるのは、この経典とこの経典だったから、読むといいよ。おそらく、この祈願と研修が妥当だと思うよ。

ってな具合で、師と弟子、の関係にあるような「会話」ではない。けど、「書き物」をしていると集中するので、自動書記に至らないまでも(配合の問題)、それなりに指導を受ける。それは、スポットに入るようなもので、意識の配合量が指導霊のほうが濃い部分は、「私の声」ではない音で聞こえたと思う。

このブログ自体も、自分のどの意識で書いているのか、私は把握しているが、その意識の部位によって、聞こえる音が違ってくると思う。今の意識体は、日常の私、に近いものであると思われる。

そうしたことをふまえて、なにかの参考に、私の話をうまく使ってくださるといいなぁと思う。


こうやって、文章化していくと、私の精進、にとっては、いい影響を与える。文章に書き起こしていくと、どうも禅定状態に近くなり、「指導霊」が入りやすいようで、書いているといつのまにか、反省をしている。ひととの距離が近いところにどっぷりと使った一日の最後に、こうやって、文章を書く、という作業をすると、ひとと繋がったパイプを一切合切切ることができるからかもしれない。

で、ふと、やはり、行動からお勉強をしているタイプのひとは、私の体験ひとつひとつが、この世での延長の感じ、で受け取ることがわかった。あの世探訪記(らいら編)は、いくらでもあるのだが、そのひとつひとつは、この世にある感じとはまったく違う。本当に、想いでできている世界なので、針をぶっさされても痛くないと思えば痛くないし、ぶっさされていることを気にしなければ、針は見えない。飛べることが当たり前だとわかれば、自由自在に飛べる。

低空飛行で「飛べない」「飛べない」と悲しみと苦しみのなかで、電信柱にぶつかるという夢は、小さい頃から見ている。今は、夢で、空を飛べないことはないし、美しいブルーがかった透明の海で、美しい魚たちと遊ぶことすらできる。

こうした話、つまり、霊的世界の実際を、丁寧に書いていかなければ、それはどういうことか?と思われることのほうが多いのだろうな、とも思うし、昨日の記事、の言わんとするところが、現実生活でいうとこういう心でこういうふうに行動していくんだよ、なんて直結することは難しいだろうな、と感触が深まっていった。

でも、例えば、昨日の記事のように、できていないのにもかかわらず、そうやって、できていないけどわかっていることを伝えるときは、とても謙虚な気持ちで相手を尊重した話し方や心構えで話をするとき、実は伝道と同じ理屈で、相手が救われば、自分の潜在意識のそれも救われる、といった、一石二鳥の功徳が与えられる。

知に傾倒し、愛が枯渇している状態の私は、そうやって話したことで、「一気に潜在意識がきれいになる」。なので、反抗心が一気に消失した。

こういう理屈がわかると精進が早くなるのだが、それは「伝道論」に基づいた心で行われた伝道行為であるし、「イイシラセ」を心から自分のことのように祝福し主に感謝する心の行為、でもある。

でも、こうした、無我と無私、が極まった状態での「精神修行」というものは、なかなかできることではないし、じゃあ、どうやったら私はできたのかな、とも考えていた。三帰してからすぐの、自分の修行で何をしたのかも、書けばいいのかなと思った。

本当に、私は、大乗船がどういう動きをしているかもわからないまま、経典も読まずに、感性だけを頼りにし、導き手の言われることを素直にやってみたのだった。

同時に、こうやって霊能者の修行日記を書くだけの自信、をもてるようになるまで、相当にそちらの世界のことを精査してきたし、実践において現実を変えて成功してきた自分の体験データと他者のデータと経典の裏付けを練りに練った「本当のこと」を言えるようになるまでの人生の時間を振り返った。帰宅の車のなかで、過去の自分を思って泣いた。わかったときの、哀しみをはらんだ涙は、どれだけの数だったか、わからない。

わかったときは、仏に愛されて涙するというわけではない。

自分の愚かさを知る。この世界でただ生きているだけでは知ることができないという意味合いも同時にわかり、自分も他者も責めることはできないとはっきりと分かる。この世にそれが与えられることが信仰なしにはありえないとわかる。そのもどかしさもなく、ただ、呆然として、わかってしまった私をじっとみつめるその仏の視線に、慈しみという哀しみを知って、泣くのだった。それが一瞬にして、心に同時に起こるのだ。

こうしたことは、信仰者だけがわかるのではなく、信仰者から衆生へと、「なんで泣けるのかわからない涙」という形をとって、与えることはできる。

そして、その苦しみから解放されたそれが強烈であればあるほど、涙がとまらずに、嗚咽となって、1時間をゆうに泣く。これを「法雨」と言う。(時間は蓋の大きさで決まる)

三帰して、すぐに、私の場合はそれが起きた。青年期の苦しみに執心するひとをとって、話を1時間ほど聞いたときに彼女に起きたそれを、私は理解できなかった。慌てて戸惑い、ティッシュ1ケースを使い切るほど泣く彼女を、心配した。涙を流しきった翌日から、彼女は変わった。彼女は、まるで別人のようになってしまった。それを見て、だいじょうぶなのかを聞いたが、彼女は「なぜ、あんなことばっかり考えていたかも今はわからない」と言った。

こうしたことは、信仰生活のなかでよく起きた。稀なこと、ではない。

私は、そのときに起きた自分の感覚や、自分の行動をよく振り返った。どうして、彼女がそうなったのか、よかったかどうかもわからず、ただただ、常に「自分」を振り返る作業は、三帰する以前から、私の傾向としてすでに確立していたため、よく考えた。

私は心理学部卒、なので、カウンセリング技術を学んでいた。私の専門ではないが、ゼミでロジャーズとゲシュタルト・セラピーを学んだ。ロジャーズのカウンセリング・マインドを学び、実践し、逐語録をとり、スーパーバイズを受ける。そうした訓練もした。ひとと接するときは、とくに、ひとのデリケートな部分を聞くときは、そう務めるようになった。

でも、それで、解決したパターンはなかった。カウセリングをやる、という授業でも、相手はもやもやを抱えたまま、つまり、「継続中」をとった。精神科で行われているカウンセリングは、長期にわたって、継続して、相手に寄り添って行われるが、それと変わりはない。「中断」も、変わりはない。中断であって、「解決」ではない。

でも、彼女に私が行ったことは、そのロジャーズのカウンセリング・マインドとカウンセリングスキルだった。今までと何ら変わらなかった。だから、私は思う。すべての心理士が信仰を本当にもって行えば、こうなることを想う。

でも、それが難しいこともよく知る。目に見えないものを可視化するために、統計学を用いたそれは、汎化した人間の心のパターンを知ることはできるが、有意な差を用いた立証でもって、すべてを解明できないことを。なのに、それがテーゼとして確立してしまった心理学領域は、この世の出来事へのマジョリティパターンを明らかにしたものでしかない。

ロジャーズの「白紙でものを見る」という心得のひとつは、「無我」のことである。ロジャーズが宗教をもっていたのは想像できる。なぜならば、無宗教の人種など存在しないからだ。宗教を想うのは未文化人が行うこと、というのは、昨今の風潮でしかない。犯罪を引き起こす恐怖体験をカルト宗教がばらまいたために、正しいものも悪いものも勘案することなく、すべて排除する、という、消極的選択が蔓延したのは、ここ半世紀をかけて、だろうから。ロジャーズはそれ以前に生きたひと、だ。

なので、ロジャーズのカウンセリングスキルだけをまねても、心を救う、などできないのだ。そう結論づけた私は戸惑い、本当にそうであるかを立証することすらも恐れた。支部にも行かず精舎にも行かず、ただ、本当にそうであるかをひとつずつ、小さい一歩を踏み出すように、ただ、なぜかそうしたらこうなった、の繰り返しが起きた。

同時に、どうして、霊体質による不幸の連続でしかない人生を送らなければならなかったのか、は常にあった。腹ただしいだけでなく、自分にとって好ましくない世界観だったので、受け入れることすら拒絶した。確かに霊能者だと思われる人物に「貴方は霊能者」と言われても、1年以上、拒絶した。信解脱であろう出来事が終わった後、ようやく、受け入れた。

(解脱の段階については以下)

旧版の漏尽通力、は、早くに手に入れた。そこに霊能者と呼ばれるひとは、「霊的世界があることを知らせる」役目にある、と書いてあった。だから、私は、霊的な体験、をそう位置づけていて、決して、ひとに「特別な目」で見てもらいたいなどと思ったことはない。むしろ、本当に、私にとっては、悲劇なこと、だった。今でもそう想う。

あの世がこうなっている、と説明することができるのは恵まれていると思われるかもしれないが、あの世がこうなっている、と知ったところで、教えにそって精進しなければ「救済」は敵わない。それなのに、「地獄に心が通じている状態」であるのに、私達から見て、残虐な状況でしかないのに、それを知らないまま、「現実世界だけを見て解決しよう」などという、永遠の不幸を背負うような生き方しかわからない現世に生きるひと、を見て、何を思えばいいというのか。

信じる、ということが問われる以前では、そのようなことも思わずに、ただ、導き手の「めあて」に取り組んだ。同時に、神様はいるのだとほんのり知った私は、総裁を神だとおかずに、神に思った。もし、総裁が本当に神であるならば、神を思えば総裁にたどり着くだろうから、それでいいと思った。

で、しっかり夢で指導される。地獄を見て、地獄から救済できそうな魂を救済しようとして失敗するという体験を夢で味わった。それで、どんな心が必要なのかを知ったりもした。福祉・支援・教育の界隈で仕事をしていた私は、ある子の心を救いたいから教えてくれと祈って寝た日に、見た夢。そうした反応を味わって、私は、ただ、呆然とするしかなかった。答えてくれる、という状況に戸惑いながらも、それを手がかりとして、失敗してしまった夢のリベンジがごとく、わかった心得をさげて、仕事に取り組んだ。

そして、成功する。

成功するまでずっと取り組む。

夢での教訓。相手の不安や不満や疑惑や恐れに寄り添わずに、相手を信じること、自分を信じること、その先に神様が示す幸福があると信じ切ることを100%にならなければ、救えないという事実だった。本当にそうかはわからないが、藁をもすがる想いで、そういう想いになれる自分をつくっていった。救ったのは、救いたかった子じゃなかったけれど、ちゃんと救えたんだ。本当に。

ある出来事を通して、彼女はすぐによくなって、しばらく様子を見て、私になつく彼女を見て、職場を辞めた。彼女は、再登校できるのに私に執心していたのを知っていたし、そう手紙をもらった。なので、私が辞めてすぐに、彼女は再登校しはじめたと聞いた。その後も看護学校へ進学したと聞いた。

彼女に教えたことはたくさんあった。でも、その教える体験をとおして、私が想いとして、教えた内容が大事なことだと分かる必要もあった。だから、思いつくそれ(指導霊による指導)を、自分がまず深めて大事にできてという作業があった。

以上の話は、私のそもそもの傾向、生き方であって、誰かに教えてもらったことはない。三帰する前は、この傾向が負にまわることが多かった。思いつくという「指導」を受けられないためであった。そればかりか、いかに自分が劣っているか、いかに自分はだめな人間か、そのなかでこうしか生きれないのではないか、といった指導を受けていた。それは、父と母が口癖のようにある「ダメ出し」文化にした家庭、の子どもだったからかもしれない。が、今は、それにまつわって、悪霊の指導があったことは、確信できる。自他ともにかかわらず。

かえって、導き手の「めあて」は、もっと現実的なものだった。

「ほっぺたが真っ赤になるまで笑わせなさい」
「かかわるな」
「本を読みなさい」
「ひとを褒めなさい」
「すべてのひとに感謝と反省をしなさい」

くらいだっただろうか。このほっぺたが真っ赤になるまで笑わせる、というのは、相手の欲を満たしたときにも起こるので適正な基準、にはならない。でも、当時の私には、「絶対できないこと」だった。

笑わせたい、という気持ちももったことがない。だから、笑わせる、という課題を提示された私は、小学生のドリルのように、出会ったひとを笑わせることだけを考えて生活した。言われたことをすべてのひとにできるように取り組んだ。

数ヶ月もすると、できた。
できたけど、新たな結果も見えて、戸惑うことばかりだった。

そうした話も本当は丁寧にしたほうがいいのだとは思う。
たぶん、今、話を聞いている貴方が想像するよりも、私はずっと真剣に精進している。
そして、それは、誰にでもできることで、


決して、霊能者だからではない。

ほっぺたが真っ赤になるまで笑わせるを三ヶ月もやれば、できるようになる。それができるまでの訓練は、与える愛のときに「自分のことは考えない、無償の愛」の心のあり方と、まったく同じだ。質や結果が異なるそれ、に取り組んだとしても、この、ことはじめの訓練を、私は忘れたことはない。

あれがあったから今がある。あれができなかったら、今の自分はない。無償の愛、など、分かることはない。あとから、私がおこなったそれは、顔施、無畏施、であることを知った。

まずは、出会うひとすべてのひと、に。

そして、次は、笑わせている内容や質、にこだわる。そこに善悪、はあるから。
がんばれ。