らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

怒れること

自分がひとに心の窓を開いてもいない、自分に集中する時間、に

ずけずけと断りもなく、礼儀も知らないで

自分の理解の範疇にある情報材料で、私を決めつけた上で、話を進められること。


つまり、ひとの話も聞かない上、今はあなたの要求を聞きたくありませんよというサインも無視して、ずけずけと、自分の要求を無意識に話し続けるひと。

不満を伝えたいのか、本当に知りたいのか、ちゃんと心どおりに言葉を発すればいいのに。肉体があるって、難しいことだと本当に思う。80%のひとは、気持ちをそのまま提供しない。いいことも悪いことも。

しないから、自分の気持ちに気づかない。言葉を使って不満を話しているのか、知りたくて話をしているのか。

そういうひとは知らせるとたいてい怒る。言葉を言葉どおりに使えずに、心の憂さ晴らしに言葉を使うくらいなら、その憂さ晴らしに使われた話の聞き手は、まるでゴミ捨て場のように、ぞんざいに自分が使っているという下品さに、早く気づくといいのに。

冷静に知る、ということは、限りなく可能性を考えること、でもあるのだから、自分を貶めているのか、なんてふうに受け取る人は、まず、反省ができない。貴方に必要なのは、「癒やし」であるし、ひとから癒やしを強奪するように要求するのは、暴力でしかない。

そもそもに、自分が与えられたがっていることを、知るところからだね。


だから、ラインは好き。
だから、電話は嫌い。