らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

引き寄せ

スピリチュアルな世界では、引き寄せって、よく言われる。富を引き寄せる。

パルケルルスだとかエメラルドタブレット

ロンダバーンとかオーストラリアの有名な男子だとか。

世界中で知られる引き寄せ。

君は、霊能者なんだよと言われてすぐに、ロンダバーンを教えてもらって、やってみたが当時はよくわからなかった。

富をひきよせるって当会でもよく言われる。

奇跡の起こし方みたいなもん。

私は、最初、富を引き寄せたいとか、全く思わなかったし、自分が何かになりたいとかも全くなかった。

けど、私にとって、死んでしまうこともできずに、だからといって、何をもって生きていけばよいか全く分からなくなった出来事があって

そのとき、身の周りの人が勧めるままに、いろんなことをした。

らいらの愉快な仲間のひとりが、私にある祈願をすすめてくれて、お友達3人で一緒に受けた。

私は、自分のことのように友達を愛していて、みんなと一緒に受けれたことがものすごく嬉しくて

まるで、最期のお別れのような気持ちだった。

魂をあげるからと願ったこともあった。

私にはどうすることもできないと自覚したからこそ、私の全部をあげてもいいからって、たくさん泣いて願った。

そうした日々が続いて、悲惨なことが続いて、ただ息をしてるだけの時間になって、祈願を受けたその内容は

本当の愛が知りたい。

真実の愛を知りたい。

真に人を愛し、真に人から愛されることがなんなのか知りたい。

とだけ書いた。その日から、もらった御守りは、大きかったけれど、神様とのどこでもドアとして、持ち歩き、一緒に寝た。

1日中、過去のフラッシュバックの連打が起き、極まってくると、私のここが悪かったなと号泣することが最低3回続いた。

こんなことでは精神がおかしくなると思って、もうひとつ祈願を受けた。…フラッシュバックは、スピードアップし、私は何かをあきらめた。

やっているうちにこれは指導であるだろうと考え、それなら、反省するまでの思考の流れを観察して、ポイント化し、効率よく短時間でできないかと考えた。

目標は3分になるように。

一緒に受けた友人にも同じことが起きていたから、毎日電話して、お互いの反省を聞きあっていたから、一週間でたたき台ができて、日を追うごとに、それはもっと精密になった。

三分が可能になった。

そこまでいくと、壁が見えてきて、その壁に向き合い、神の光を下ろすと、いつの間にか寝てしまうことがあった。

お互いに霊能者だったこともあって、すべて、霊的な影響も加味した反省だった。

何がいけないのかわからなくて、それまで反省してきた過去のことは、現在、リテイクしているように現象化しているとわかっていたため

なら、過去の悪因を現在に見せているなら、そのヒントもまたあるはずと、与えられる情報を精査した。

支部長にも相談をした。

わけわからない話だったかもしれないが、支部長はいきなり先生の降魔成道の話をされた。

私は何でその話を聞かされたのか一生懸命考えた。そして、私のような魂では、そのようなことは可能ではないと至った。魂そのままで、つまり自然体で、勝てるようになりたかった。

支部長の話を聞きながら、どこに正解があるのか、目は見開き、霊的にも情報を探した。

もし勝てるなら、ただひとつだけ、方法がある。

不幸な現実を目の前にして、一年弱前に私が祈ったそれだった。

魂を仏と一体にする。

支部長は私の言わんとすることがわかっていたかは分からないが、私は支部長にそれをすると言った。支部長も心配したからか、終わったら連絡してくれと言った。

ゴリ子に電話して、一緒にやろうと話をした。どうやってやるかも説明しなければならなかった。そして、なんだか危険信号が出た気がして、支部長が私に言ったみたいに、終わったら連絡してくれと言った。

その日から…気付いたら、欲しいと思ったものが1日で届くようになった。

ピーナッツ、布団カバー、冷蔵庫、本、CD、、

自分から探さなくても、ひとを介して届くようになった。意味がわからなかった。

手に入らないだろう写真さえも、5時間で、たまたまそこにいた友人から、あけましておめでとうのコメントの次に、連投された。

手に入らないだろう写真が、欲しかったちょうどに手に入るようになって、ようやく確信をした。

これは何かが起きている。

私は、欲しいものが手に入る事実よりも、その仕組みを知りたがった。Webで、日本語と英語で分かる情報はすべて探した。

引き寄せが働いているので、手に入れたい情報のヒントも引き寄せ、世界中を調べた。

ニュートンが訳したと言われるエメラルドタブレットも、旧約も新約も、いろんな宗教観も全部調べた。

たまたまアメリカにいた友人が、ユダヤ教についてレポートを大学に出すだとかで、ユダヤ教会の写真も手に入ったりした。…そういうふうに、私は身体を動かすことなく、必要な情報をたくさん得た。

…足りないものもわかった。あれから研究対象や研究方法は、何度も何度も、根拠をとりながら、教えから見た再構成を重ね、今に至る。

仕組みはシンプルな教えに基づいていて、私の生活もシンプルになっていった。

魂をあげてもいいと祈ったそれは、五年を経て実現した。三年前には、今の人生では無理だと思えて仕方なかったが、今の人生で実現しなくてもやるだけやってやると仕方なく誓願したそれは、二年半で実現した。

そして今、その6年ジャクを経て、魂をあげると祈った、ユートピア家庭の創造の誓願は、

本日をもって、終了したかもしれない。

両親を心から愛して信じるを心から泣くことができるなんて、

あの不幸な出来事の後でも、悪霊とのたたかいの激闘の日々においても、そののちの平かな無感動な日々においても

これっぽっちも思わなかった。

そのきっかけは職場での出来事で、今日のなんでもない1日に、目につく人の何かは過去の自分だと感じながら、

ひとりめは怒り

ふたりめはたいらかにし

さんにんめは無視し

よにんめは嬉しいことに感謝し

までをしたとき、定時を過ぎても他の課につかまっている私を見て、定時だよと声をかけた大先輩方ふたり。

相手は話かけてもいけないと憤慨していたが、なんとなくやり過ごして、ただ、もてるものはないのに、私を守ってくれるように

定時だよと声をかけてくださる大先輩方に、ただ、愛してくれてるんだと思ったら泣けてきて

そしたら、両親も間違ってはいるとわかっていても私を愛さずにはいられないと分かり

帰宅時間、車の中で、音もなく涙が流れ

しまいには、旦那とスイーツを買った後も車のなかでひとしきり泣き

いまもこれを書きながら泣いている。

両親に感謝して泣くのは今が初めてではないけど、こんなふうに泣けたのははじめてだと思う。

生命を与えられて

何をするでもなく

仏から見たら遊んでるようにしかならない私たちは

そうやって、自分の身近な毎日を

そうやって、わたしのままに

そうやって、なんでもなく平和に調和しながら

そうやって、苦しくもない努力の積み重ねに

富は拡大していく事実を

この6年で訓練させていただいたからこそ

受け入れる私になれたのだと思う。

…本当は、3年から5年と言われていたんだけどね。

5時間、父と祖父のことで、倒れるまで祈った、その倒れた目の先に、天使の足が見えた。何か話をしていて、聞き取れたのはそれだけだった。

3年から5年。

私は、まさかこんなふうになるまでの期間だとは思わなかったから、たくさん失敗を重ねて、伸びに伸びた。

天使は見捨てない。

これまでの日々に見捨てられたことがなかったばかりか、見たことのないような神様さえいらしたことがあった。

そういうことを起きるたびに、みんなに報告できるといいね!自分もそうなんだって分かるから。

けど、今日は、自分の反省が深かったから、これを書いた。反省はね、感謝で終わらなきゃ、反省ではないんだよって話。

この壮絶な6年に何があったかはまたの話。

…ほんと、すごいんだから笑笑