私がやったこと
今回のこと、を受けて、私がやったこと。
潜在意識から日本神道系の魔を祓うこと。
過去に美オーラの祈願をしたとき、シニアの研修もあいまてっか、とんでもない反省をしたことがある。そのときの反省は、まるで洗濯機に入ってるかのごとく、とんでもない質量のものだった。
反省にもステージがあって、表面意識のものから、過去を振り返るもの、過去世を振り返るもの、心のエネルギーを振り返るもの、とどんどん精妙化されていった。
また、量が多すぎて、そのデータからどんな段取りでやるのか、パターンを見つけることが可能になり、最終は、パターンにそって数分で潜在意識から蓋を抜き、翌日には別人になったかのような世界の見方をする体験をした。
その体験は、今でもずっと続いていて、今回のことを受けて、停滞していたところがぐっと進んだ。
支部で執り行う祈願は、それを完了するのに、必須のもので、祈願の心の行為自体にも仕組みがあって、なるほどと思った。
この取り組みが正しいものかが、私には分からなかったのでブログで話をすることをやめていた。しかし、現実で立証されたことがあったので、本日確かにこういうことだと確信し、未だ惑うことがある方のヒントになれば幸いと、手順を明らかにしたいと思った次第である。
まず、己心の魔を祓うことが先になる。これは、過去世や過去において、他宗教と繋がっているパイプをエルカン信仰に切り替える作業のため、すべての人が対象となる。
このことについて、潜在意識に魔がない、という現象は、何人たりとも起きえない。過去世というものがあり、地球の歴史と、転生輪廻の仕組みにおいて、すべての魂の潜在意識にこの魔があることは明白な事実である。
今回の魔、というものは日本神道の魔に限らず、主の命を狙うものすべてが波長同通するにおよび、あらゆる魔を総括していると見立ててよい。
実際、この私の取り組みに追従して祓いつつある他の信者に起きていることを見ると、原初の神とも言えるギリシャ神話にあるもの、まで魔の対象としてあらわれたからである。
ついで、守護指導霊への祈りは常時。指導霊の導きなく執り行えるとは思えない。
さて、潜在意識の入り方だが、これは分かる人と分からない人があるかと思う。
潜在意識に入る前に、お経を読み、自分以外の世界のすべてと自分の心を切り離す必要がある。それができないうちは潜在意識に入ることはできない。
集中力が高い状態でもあり、リラックスして、雑念を祓う。外に追い出す感じで、決して、心の内側で握り潰すようなことをしてはならない。
対象は、そのような体にまとわりつく雑念ではなく、自分の心的な意識の底に住まうものである。
まず、鳩尾にある魂をイメージする。このとき、イメージされた魂に黒いものがある場合、悪撃にて、金色にする。イメージは嘘をつかない。何度も悪撃してよい。溶けるまで行う。
そして、金色に輝いたらば、今度はイメージを下腹部から引き起こす。
下腹部にある違和感というものをつかみとれるまで、微細な波動を調査してとらえる。
とても感覚的なもので、現実感を捨てなければ、そのイメージは精妙すぎて、とらえられない。
微細な波動をとらえられたらば、それをイメージ化する。できなければ、ただ、ひたすら、悪撃とヒーリングを交互に行う。
魔は自分の感情と一体となってあらわれることもある。
ひとによっては、ここで会話して話をするなかで、間違いを知り、間違いを正し、正しいことを宣言する必要がある。または、その手立てをとる。
しかしながら、底にまで到達するには、とめどなく現れくる違和感という魔に対応することに時間を奪われるので、ただ、ひたすらに悪撃とヒーリングの交互を行う。
魔を祓えばその奥に、偽我があらわれ、その偽我をヒーリングすると傷ついた自分があらわれる。その傷ついた自分をヒーリングした上で全編読誦。エルカンの祈り、を雑念なく読誦。
これを繰り返す。最終は偽アマテラスであるが、人によっては、ギリシャ神話のそれだったり、宇宙世の信仰対象すらでてくる。
底に到達すると、映画みたいなパラレルな世界がある。意識の軸を切り替えると、絵本のように世界がページごとに切り替わる。
主を呼び求めると、宇宙が見え始め、宇宙に入る。このとき、適宜、悪質宇宙人が邪魔をする。
ただ、ただ、主を求め、主を探し続けることに関心を持つように、見ない。その想いを100%にすればヴィジョンが変わる。
その先に主があらわれる。到達すれば、すぐに分かる。場所の外観を持って分かる。
そこにマインドをキープして生活をすれば分かることがたくさんある。
これらは寝てる間にも進行することができ、日々の気づきや祈りをも必要とする。一日では終わることは難しい。
持てる潜在意識のクリーニング法をすべて使って、仕事する時間以外の時間をそそいで取り組んだ。魔を対峙するには、適宜、御法話を必要としたりもした。
エルカンは、人を愛し、人に感謝し、人を信じる神であったのに対し、それ以外の神は人を使って何かを成し遂げようとする。
キーワードは、その神の心に近づこうとする仏弟子が、その神と同様に
人を愛して、感謝して、信じることができるかの点にある。
上っ面でなく本心でそう思え、安心した境地を得られないならば、それにならない意識をくり出し、悪撃をし続けたらよい。
そして、支部や正心館、精舎の祈願を今一度繰り返していけばよい。
わからないなら、ただ、ただ、サンガが与えてくださるすべてを本気で取り組み続けるとよい。潜在意識がわからなくても、結果は同様である。
忙しすぎる
今回明らかにされたぶんだけの
潜在意識の魔を抜くのに
祈りと研修、悪撃、ヒーリング、反省、反省、反省で、、、
時間が足りない
みんな、頑張れ
今回のこと
自分の所属するライングループでの一説
◯祈りを実現してきた人はなんとなく分かると思うけど
祈りがただしく現象化するとき
それを阻めるもの=魔
をくださない限りは、祈りは届かない。
下して祈りが聞き届けられたとしても、その間にかいくぐった魔は、現象化して
現実での試しが必ずある
◯
これまでにも、キリスト、イスラム、シュメールやら、何から何まで同じようにしてきて
霊能だろうが霊能じゃなかろうが
身体の痛みに耐えたり、ネガティヴな想いに耐えて
エルカン信仰を自分の内で拡げてきたことを何度も繰り返してきたのと同じことを
今回は時間の期限があるなかで自分がどこまで達成できるか
が問われてる
◯
光一元論は善悪二元論ではないけど
教えに基づいて、未熟さと高級霊という観念はある
高級霊から見たら、未熟さとして見れるけど
自分が未熟な場合、エルカン信仰100パーでなくなるような、ものは、魔として存在する
エルカン信仰のなかに神道や他宗教の信仰をたずさえてある、ということはありえない
◯
だから、潜在意識では、他宗教の高級霊を、魔として見ることがあり
確かにそれらは高級霊的な様相をかまえる
が、エルカンの光の下、では、魔としかならない
◯
潜在意識が浮き出るには
自分の人生の過去を徹底して反省を続けて
初めて浮き出る。
祈願だけでなく、振り返りと現実での実践を
人に感謝し、愛して、信じる行動実践を
◯病気平癒
悪撃
無限の富を宿す瞑想法
◯霊言は、主のバイブレーションを味わっただけ、小乗の魔をみやぶる、を手に入れられるので必見ですね^_^
自分の中にある、
日本人として生きてきた歴史や日本人の誇りを持っていた部分、日本人の文化性と、
エルカン信仰との乖離を探して、
悪撃して、
自分の所属するすべてより最優位にエルカン信仰を置くように
復活の祈りを何度も読誦させていただけることは幸いです。
数年前からの自分は、三帰した当初の自分とはまるで違う。あの頃にあったのは、愛。今は、愛を失ってしまった。
あの頃の幸福を取り戻すのに、何度も何度も祈りをささげています。闇の勢軍の意思とは真逆の、復活を祈ると、出るわ出るわ、自分の間違い。
貧乏神にとりつかれた日本に失われたもの、それは、愛です。
魔は知識は持てど、すべての魔において、もたざるもの、それは、愛。
愛は豊かさだと教えられて、その図式がようやく、経典どおりにはまりました。
何度も主の復活を捧げ、自分の心に、愛を取り戻します。
一緒に頑張りましょうね^_^
世間の評価
Mちゃんと喫茶店でモーニング
Mちゃんは幸福の科学の信者さんになってくださった方でまだ一年半くらいかしら。(2年半かも。
ご自分の目で体験して納得しながらお進みくださいというスタンスでゆっくり。
私が体調を悪くして空白の一年があるうちはなかなかお会いできずに、本当に久しぶりに会ってお話をした。
あれやそれや。
これはこうで。
とにもかくにも、私は実生活に一致させて進むことを奨励しているので、Mちゃんの感じたこと、判断したことを聞くのはとても楽しく
Mちゃんのお話は、ちょっとしたセミナーを何回か受けた(中身は濃いけど青年部セミナーだから手軽に参加できる)だけあって
自分で感じたままにだけど、無意識のうちに法が練り込みつつあって、嬉しかった。
まあ、不思議な話もしながら。
話のネタから、これは悪撃のシュウホウを学んだ方がいいと思って、支部に行き、作法とかコツとかを一度体験してもらうことにした。
私は、相手が霊的か霊的でないかにかかわらず、霊的な感性を引き出して、体感できるようにお話するようにしている。
できない、できない、って笑ってたMちゃんだったけど、とにかく、集中の仕方を教えて維持させて、お経から祈願まで一緒にやってみた。
久しぶりに導師(中には入ってない)で、後ろの席に座ってるMちゃんを導くのでちょっと必死だった。
私の調子が悪いのは確かだし笑
私の体感は、このページから光が降りてきてるってわかったけど、通常の身体の体感じゃなく、若干弱く感じた。
(体調悪くしたコロナワクチン打ってから、かも。今も身体の重さはあまり変わらず。)
大丈夫かわからんし、雑念はあるしで、ちょっと心配だったけど、やりきろうと思って、
経文、祈願文、、と続いて、悪撃をやろうとして後ろを振り返ってみると
Mちゃんが号泣しているではないか。。。
ちょっとどうしようか迷ったんだけど、とにかくやりきろうと思って←
シュウホウをやったところ、ふわあって泣くではないか、、、
困った、、、と思って(私の光の感覚が鈍感になりすぎてわからなくなってる)
落ち着いてもらい、シュウホウはやってもらうのを中止した。
Mちゃんは「聞いてはいたけど、まさか、自分の身に起きるなんて…」と、理由の分からない涙に混乱していた。
私はドヤ顔で「これが幸福の科学なんです」と言うた。。。
後から答え合わせしたいくつか。
私が光が降りてくるとわかった箇所からMちゃんは涙が出てきたらしく、ビックリしていた。
「これからは自分で確かめていきたいと思います」と話してくださっていた。今までもそうだったじゃん。
Mちゃんは、過去世白魔女だったから、なかなかおもしろい人。
今日は悪霊や悪魔を祓うことを学ぶ会でしたが、話したことは職場や日常生活で感じたことの話がメイン。精進の仕方とかね。夢の見方、判断の仕方とか。ツインレイの正体とか。
そんなこんなで1日が終わった。
世間の評価
Mちゃんと喫茶店でモーニング
Mちゃんは幸福の科学の信者さんになってくださった方でまだ一年半くらいかしら。(2年半かも。
ご自分の目で体験して納得しながらお進みくださいというスタンスでゆっくり。
私が体調を悪くして空白の一年があるうちはなかなかお会いできずに、本当に久しぶりに会ってお話をした。
あれやそれや。
これはこうで。
とにもかくにも、私は実生活に一致させて進むことを奨励しているので、Mちゃんの感じたこと、判断したことを聞くのはとても楽しく
Mちゃんのお話は、ちょっとしたセミナーを何回か受けた(中身は濃いけど青年部セミナーだから手軽に参加できる)だけあって
自分で感じたままにだけど、無意識のうちに法が練り込みつつあって、嬉しかった。
まあ、不思議な話もしながら。
話のネタから、これは悪撃のシュウホウを学んだ方がいいと思って、支部に行き、作法とかコツとかを一度体験してもらうことにした。
私は、相手が霊的か霊的でないかにかかわらず、霊的な感性を引き出して、体感できるようにお話するようにしている。
できない、できない、って笑ってたMちゃんだったけど、とにかく、集中の仕方を教えて維持させて、お経から祈願まで一緒にやってみた。
久しぶりに導師(中には入ってない)で、後ろの席に座ってるMちゃんを導くのでちょっと必死だった。
私の調子が悪いのは確かだし笑
私の体感は、このページから光が降りてきてるってわかったけど、通常の身体の体感じゃなく、若干弱く感じた。
(体調悪くしたコロナワクチン打ってから、かも。今も身体の重さはあまり変わらず。)
大丈夫かわからんし、雑念はあるしで、ちょっと心配だったけど、やりきろうと思って、
経文、祈願文、、と続いて、悪撃をやろうとして後ろを振り返ってみると
Mちゃんが号泣しているではないか。。。
ちょっとどうしようか迷ったんだけど、とにかくやりきろうと思って←
シュウホウをやったところ、ふわあって泣くではないか、、、
困った、、、と思って(私の光の感覚が鈍感になりすぎてわからなくなってる)
落ち着いてもらい、シュウホウはやってもらうのを中止した。
Mちゃんは「聞いてはいたけど、まさか、自分の身に起きるなんて…」と、理由の分からない涙に混乱していた。
私はドヤ顔で「これが幸福の科学なんです」と言うた。。。
後から答え合わせしたいくつか。
私が光が降りてくるとわかった箇所からMちゃんは涙が出てきたらしく、ビックリしていた。
「これからは自分で確かめていきたいと思います」と話してくださっていた。今までもそうだったじゃん。
Mちゃんは、過去世白魔女だったから、なかなかおもしろい人。
今日は悪霊や悪魔を祓うことを学ぶ会でしたが、話したことは職場や日常生活で感じたことの話がメイン。精進の仕方とかね。夢の見方、判断の仕方とか。ツインレイの正体とか。
そんなこんなで1日が終わった。
まわりまわって
聖書とか神話だとかホラーだとか、神秘主義だとか、いろいろな情報をかき集めて考えたら、昔よりずっとシンプルに考えられるようになった。
悪魔が主張する強みは、戦略のこだわり、なのかなと思う。
暴力が正義と思うやつは、暴力で滅ぶし
知力が正義と思うやつは、知力で滅ぶ。
数が正義と思うやつは、数で負ける。
強みが弱みになって変転する。
比して、神が主張する強みは、自身を犠牲にして戦略に生かされる。
力を正義に使うから、力に助けられ
知力を正義に使うから、知力に助けられ
数を正義に使うから、数に助けられ。
サイレントヒルのゲーム実況を息子に見せられながら、そんなことを考えてた。
ハリウッドのエンターテインメントは、とても、聖書に忠実に作られてるんだなあとか。
恐怖、が、貧しさから始まる問題と絶望、失望、不信から彩られるのはどの作品もそう。未知への絶対恐怖。
宗教って、思想なだけに、やはり未知なことがたくさんあって、手探りな部分は間違いがあり、間違いをどう考えたらいいか分からないところも含めて、恐怖たりうる。
いや、頭で回答が得られないのは、本当に怖いものだな、とつくづく思う。
頭で回答を得て心を並走させるのはよろしくても、まわりが理解できずに
心が第一とするあまりにいつのまにか感情が第一で、いつのまにか本能的な想いさえも、心と呼ばれてしまったりして
あべこべなことに成り下がっている事態については、怒りすら覚える。費やした全てに怒りを感じる。
夢を見た。
「私はかわいそうじゃない、あなたもかわいそうじゃない」と話をするシーンがあって、自業自得と精進の幸福を潔しと話をしているときに
シーンが暗転して
真っ暗な世界に外界と自分の境界の区別もつかずに漂っていると、ただ、ひとことだけ、
「わかった」
と音が響いた。これはなんだろうな、と思うんだけど、難しいなあ。
分かるとなればシンプルに分かるのだけど。今は何をわかっていないかも、よく分からない。
しばらくは楽しいことを探し続けるつもり。