らいらの部屋

らいらの霊能精進日記

滅尽定

初禅 → 第二禅 → 第三禅 → 第四禅 → 空無辺処 → 識無辺処 → 無所有処 → 非想非非想処 → 滅尽定

 

滅尽定 → 非想非非想処 → 無所有処 → 識無辺処 → 空無辺処 → 第四禅 → 第三禅 → 第二禅 → 初禅

 

再び、色界の初禅から第四禅へ至り、この第四禅から直接ニルヴァーナへと入り、ブッダは肉体を捨て去った。

 

初禅 → 第二禅 → 第三禅 → 第四禅 → ニルヴァーナ

 

だから、四禅定が基本であり最高のもの。

 

でもね、

 

空無辺処

 識無辺処

 無所有処

非想非非想処

 

これがわからないなら、まだ、反省や教学を深める必要があって。

 

しかも、反省して、掘れば掘るほど、意識量は増大する。

 

今自分の状態はさておいて。

 

定が深まるように、とにもかくにも、毎年、新しく生まれ変わる自分になるように

 

過去を脱皮して変わり続ける自分を喜び続けること、だと思う。

 

 

来年の法シリーズは、DVDが出ないから、年末から研修を重ね続ける予定。

ああ、そういえば、狐は。

この前、おもしろい体験をした。

 

ご指導をお願いした晩に見た夢。

 

精舎で宿泊してチャージはしたんだけど、ひとり、になれなかったから指導がしっかり入ってなくて、指導をキャッチできなかった。

 

だから、しっかり眠れたら、キャッチできると思って。夢でいただいたんだわね。

 

あおむけで寝たときに見た夢

うつぶせで寝たときに見た夢

 

同じ内容なんだわ。でも、シーンが違うの。

 

あおむけは、ストーリーがあるけど、目的があって、何かを知るための比較や理解を促してくる。

 

うつ伏せは、私の過去の情報を使って再構築したストーリーを体感しながら、何かを知るときに、ものすごい勢いで責めてくる。

 

同じ内容だったのと、あおむけで寝たのが先だったからわかりやすかったのもあって、

 

その2つの夢のコントラストが見事すぎて。

 

 

あおむけは天上界から。

うつぶせは地獄界から。

 

まあ、どっちもいるんだろうけど。

 

 

うつ伏せでは、過去の知人がでてきたんだけど、ああ、この子が肉食狐なら理解できる、という人物で、知人の人生の不幸を

 

私のせい

 

にされたの。で、私は、悪かったと思うから、心を痛めて、もんやりしてた。

 

そしたら、琵琶湖の竜神さん(有名なTさん)がでてきて、精舎でずっと私に言ってた言葉が浮かんで勇気を出して

 

私は悪くない

 

って、夢で知人に言ったの。そしたら、さっきまで、笑ってた顔が、軽蔑して汚いものを見るような目に変わって冷たかったから、目を凝らして見たら、知人の背中から、白い狐がぼんやり浮き出てきて。よくある憑依物がでてくるやつね。

 

もちろん知人が悪魔というわけではないから、悪撃したの。一発目。

 

そしたら白い狐が、もののけ姫のモロが首だけになったシーンみたいに、怒り狂って、白い顔が血糊をつけて模様が浮き出て、暴れ出したから、二発目。

 

 

天上界も地獄界も、実はシンプルで。

 

その違いは、

 

◯上を向くか、下を向くか

◯未来を見るか、過去を見るか

◯知って理解するか、自他を責めるか

 

その分別だけだった。

 

過去を反省することと、過去を見ることの違いが危うくて、よく間違った反省になるものだから

 

未来、を見ているか、の比率は、確認した方がいいと思う。

 

間違った反省法にある人は、自分の未来に希望がなかったり、語ったりが難しいと思うよ。未来に、広がりのある幸福感があればオーケー。

 

あ、白い狐はね。

 

自分の力で生きていくことをしないで、人生の責任を、他者にとらせることを糧としてる。

 

誰かに依存されることに喜びを感じる人に、うまくとりいって、その人が欲しい心の隙間をうまく埋めてやる。

 

性を使って、喜びを過大に与える。

交流をして、自尊心を過大に与える。

時間を過ごして、楽しい自堕落な空間を与える。

 

それが癒しだと勘違いさせる。

 

もちろん、それができなくなる老いが来ると、責任をとらせる。

 

とらせるようにある関係をもって、プライドをくすぐる、特別な人間である気持ちを暗に与える。

 

四苦八苦する人生を与えるをもって、苦労してる達成感を与える、褒められたい欲求を満たす。

 

本当に豊かな人から見たら、無駄な時間、無駄な気遣い、無駄な交流に見えちゃうんだけどね。

 

わからない人にはわからない。

世界を知ること

どんな人も、自分の知りたいことを知っていく人生なんじゃないかな。

 

知りたいこと自体が人それぞれ違うから、知りたくないことは知らんぷりだし、無関心でいても生きていて困ったりはしない。

 

でも、自分の知りたかったことが知れたら幸せなのかというと、もしかしたら、そうじゃないかもしれない。

 

第一次性徴期、第二次性徴期で通過するように、危ういものを通過するものだから。

 

理想と現実のはざまで、2歳児のように、のたうちまわる気持ちになるのかもしれない。

 

終わってみて、ああ、こんなものか、と思うことが何回も通過した人は、自分の殻を何回も破った人かもしれない。

 

満足ゆかないで

 

なにかのせいにしたり

自分のせいにしたり

問題じゃないようにしたり

そもそもはじめから望んでないかのようにふるまったり

 

いろんなところを通過して

 

感情をのせないで

いつも白紙でものを見れたら

 

楽になれるのに

 

 

なかなか、そうはいかないのは

 

 

世界と自分の関係を不満なく、自然の摂理のように見れて、

 

どうしたら自分は満足ゆくのか

そのためにどうしたらいいのか

(世界のなかにいる自分)

 

見通しを持てる目をもてるまでの水のような心と

 

 

その上でさしゆく仏の意を汲めるものだけなんじゃないかなと思う。

(世界を内包する仏)

 

 

わがままな子は、それをわかりたくないからなんだろうなあって、思う。

 

自分の心の王様にはなれるものだけど、

(自分が統治すべきものという意味で)

 

それとおんなじように世界の王様があるわけじゃないのに、

 

世界の王様は、献身的に民のために人生を投げ出した、ワタクシのない者であり、智慧を期待されるものなのに

(私利私欲が一塵もあってはならない)

 

わがままな子は、

 

成し遂げる智慧を努力なしに欲したり

人生を投げ出す覚悟で取り組むことを知らなかったり

人がやっている努力をひととおりやらないで愚痴を言ってみたり

 

成功の実績をイメージしないで、ただ現在を頑張ってることで、良しとしてるから、どういうゴールになるのか、見ていてちょっと理解できないときがある。

 

 

わがままな子は、

未来の何をイメージしてるんだろうか。

安定のマインドリーディング

仲良しのゴリ子に電話したら、疲れていた。やはり、年齢を重ねると身体にガタが笑

 

ゴリ子の仕事で、うまくいかない人間関係があり、以前から話は流し聞いて笑いたものの、今日は、あーでもない、こーでもない、と話をするのも億劫になったのか、久しぶりに

 

占いという名のマインドリーディングをした。

 

こういうこと、は、人柄だとかどういう背景の人かを知らない方がよいのだが

 

お互いに職場の話は、流し聞いているので、あんまり覚えていないので、まあ、成り立つ。

 

どういう繋がりの人かとだけ聞いてとらえる。きちんととらえてるかの確認で、こちらから、こういう人かと聞いて確定してから行う。

 

だいたいあまりぶれないが、いままででいうなら、ひとつ坂の上の家の人と間違えたり、兄弟姉妹の誰かと間違えたりは、したことがある。

 

逆に、相談をもちかけた人が知らない事実をこちらが挙げて、確定が難しいこともある。

 

実は結婚していた、とか笑

 

年上の女性と住んでいる人だと思うけど、お姉さんと住んでるのかな?と聞いた数日後、お相手の方が結婚していた事実が発覚したのは、修羅場だった。もう十数年も前の話だけど、騙された方はたまったもんじゃない。

 

で、今回のゴリ子のマインドリーディングの目的は、職場でどう振る舞ったらいいのかの判断がしたいからということで、状況もよくわからないまま

 

ゴリ子の問いに、翻訳するみたいに、反応を伝える、にしてみた。

 

ひとこと、伝えると、もーわかった!もーいーよ、とマインドリーディングを中断するという。

 

なんだかよくわからないが、いくつか、感じたことを伝えた。

 

話してくれたそのまんまな人だけど、悪意があってやってると思っていたけど、違うことがわかった。そーいうことか。

 

ということで、あちら側を理解する、ような状況が生まれて、どうふるまうかを決めることができた。

 

だがしかし。

 

占いは占いなので、私は責任は持たん、というスタンスは崩さない。

 

でも、あちら側を理解して、お互いに不幸や憎しみを持たないでいい対応を考えることができたなら、マインドリーディングもわりといいもんだとは思う。

 

ただ、魂のどの深さでリーディングするかはまだ、不安定かな。深すぎるところでリーディングしがちな私が、きちんと、この世に近いところでリーディングできたのは

 

私も疲労困憊だから。

 

 

栄養ドリンクって、本当にありがたいよ。。

貧乏神退治

下妹がいうことには、いま、うちは貧乏神退治なのだとか。

 

私はいろいろ忙しくて、自分の反省も惰性にして、流れてくるものを、アドリブで対応している。もはや、何の繋がりも見えないまま、丁寧な根拠もとらず、そのときそのときの対応をしている。

 

下妹にも、先日、ようやく課題を乗り越えていくことができそうだったので、数ヶ月前に指摘したことをねりかえしで、具体的にこの点について思慧することと、マイナスの見方を教えておいた。

 

それでかどうかわからないが、現実生活でネックになっていた人間関係にいい感じで対応したのを見届けることができた。

 

そうしながら、私が母に話をしている姿を見て、また、それを言っていた。

 

貧乏神をテーマにしているわけではないのに笑

 

 

外から見たらそうやって見えるのだろうか。

 

 

学ぶことに関してのネガティヴ抜き

 

なのは確か。